徒然中部-南地区
幸地の差石
祖父の顔は額縁に入った顔しか知らない
母方祖父は戦死
父方祖父は戦後しばらくして病気で亡くなった
子供の頃に祖父の話を父から聞いた
西原に遊びに行ったらムラのニーセー達が絡んできた
そこで祖父が大きな重い石を持ち上げるとニーセー達は驚いて絡んでくるのをやめたそうだ
江戸時代の頃から昭和初期にかけて日本全国各地に力試しに用いられる重い石があった
”力石” と呼ばれている地域が多いが西原町幸地児童公園に残る力石は ”差石” と呼ばれている
西原町内の各集落にも ”差石” があったいうが戦後次第に見られなくなった
傍には ”サーターグルマ” もある
母方祖父は戦死
父方祖父は戦後しばらくして病気で亡くなった
子供の頃に祖父の話を父から聞いた
西原に遊びに行ったらムラのニーセー達が絡んできた
そこで祖父が大きな重い石を持ち上げるとニーセー達は驚いて絡んでくるのをやめたそうだ
江戸時代の頃から昭和初期にかけて日本全国各地に力試しに用いられる重い石があった
”力石” と呼ばれている地域が多いが西原町幸地児童公園に残る力石は ”差石” と呼ばれている
西原町内の各集落にも ”差石” があったいうが戦後次第に見られなくなった
傍には ”サーターグルマ” もある
この記事へのコメント
みやきせん氏の祖父は、力持ちだった!!。
Posted by ケンボーショー at 2019年07月15日 20:09
ど〜も
額縁の中の祖父は病気で痩せこけていますが
恰幅良く長身で ”マギー” と言われて言われていたそうです
額縁の中の祖父は病気で痩せこけていますが
恰幅良く長身で ”マギー” と言われて言われていたそうです
Posted by みやきせん at 2019年07月16日 08:26