徒然中部-北地区今帰仁の面影第二尚氏時代夢の跡(現代まで)
国直グシク
”国直(くになおし)” は ”クノーシ” ”クイノーイ” ”クイノー”
などという
奄美大島には ”国直(くになお)” との地名がある
金丸による第二尚氏樹立のクーデターの後に
”鬼大城(うにうふぐしく・大城賢雄)” は
安谷屋按司らと共に ”国直グシク” で反旗を翻し
”世直し” のため戦った
島尻では ”八幡按司” や ”豊見城按司” らも蜂起している
![国直グシク 国直グシク](https://img01.ti-da.net/usr/y/a/m/yamaaruki/2020-04-29s09.19.22.jpg)
国直グシクの跡は嘉手納基地の中にあり立ち入りは制限されている
レーダーのある丘が ”国直グシク” だということだ
やがて第二尚氏の軍勢に敗走した ”鬼大城” は
幼少時に育った ”知花グシク” で火焔に包まれ息絶えた
追記)
”鬼大城” は伊覇按司系安慶名大川按司の系統の人物
”八幡按司” は伊覇按司系護佐丸の外孫で ”第一尚氏尚泰久” の四男
尚泰久の父 ”尚巴志” の正室は伊覇按司の娘
尚巴志の父 ”尚思紹” の妻は ”美里之子” の娘とされている
”美里” は ”あのあたり” 発祥の名称なのだろうか?
”あのあたり” とは伊覇按司の系統が広がっていった
中山と山北の間の地
三山の人たちと
ちょっと ”毛並みが違った人たち” がいた土地
”安谷屋按司” は第二尚志時代の ”中城若松” の系統とは違い
”豊見城按司” も第二尚志時代の按司とは違っているようだ
現在糸満市となっている ”阿波根・潮平(スンジャ)” は
以前は豊見城だったようだ
などという
奄美大島には ”国直(くになお)” との地名がある
金丸による第二尚氏樹立のクーデターの後に
”鬼大城(うにうふぐしく・大城賢雄)” は
安谷屋按司らと共に ”国直グシク” で反旗を翻し
”世直し” のため戦った
島尻では ”八幡按司” や ”豊見城按司” らも蜂起している
![国直グシク 国直グシク](https://img01.ti-da.net/usr/y/a/m/yamaaruki/2020-04-29s09.19.22.jpg)
国直グシクの跡は嘉手納基地の中にあり立ち入りは制限されている
レーダーのある丘が ”国直グシク” だということだ
やがて第二尚氏の軍勢に敗走した ”鬼大城” は
幼少時に育った ”知花グシク” で火焔に包まれ息絶えた
追記)
”鬼大城” は伊覇按司系安慶名大川按司の系統の人物
”八幡按司” は伊覇按司系護佐丸の外孫で ”第一尚氏尚泰久” の四男
尚泰久の父 ”尚巴志” の正室は伊覇按司の娘
尚巴志の父 ”尚思紹” の妻は ”美里之子” の娘とされている
”美里” は ”あのあたり” 発祥の名称なのだろうか?
”あのあたり” とは伊覇按司の系統が広がっていった
中山と山北の間の地
三山の人たちと
ちょっと ”毛並みが違った人たち” がいた土地
”安谷屋按司” は第二尚志時代の ”中城若松” の系統とは違い
”豊見城按司” も第二尚志時代の按司とは違っているようだ
現在糸満市となっている ”阿波根・潮平(スンジャ)” は
以前は豊見城だったようだ
この記事へのコメント
みやぎせんさん ハローです(*^-^*)
今日のタイトルとは違うけど文中に鬼大城の文字
以前 知花城跡で 鬼大城の墓を見ながら(墓だったのか?記憶が曖昧('◇')ゞ)階段や神アシャギ 時が止まったように静かなエリアの傍には国道があり 車が行き来してる なんだか不思議な感覚になったことを覚えています
Posted by レインボーハート
at 2020年06月06日 17:16
![レインボーハート レインボーハート](http://blog.ti-da.net/img/usr_write.gif)
おはようございます
知花グシク(知花城跡) は周辺の喧騒と隔絶された静かな雰囲気の中にありますね
”鬼大城の墓” は知花グシクの入り口から行くよりは
知花グシクを南側に回ったところが近道です
鬼大城は具志川の喜屋武・仲嶺(喜仲)にある
喜屋武グシク(喜屋武マーブ)で生まれました
父親が幼少時に亡くなって母の実家のある知花グシク近くで育ったようです
越来グシクにいた第一尚氏尚泰久王子に仕え
王子娘の百登踏揚が勝連の阿摩和利に嫁入りの際には付き人として勝連グシクへ入っています
鬼大城は伊覇按司系安慶名大川按司の系統
阿摩和利は安慶名大川按司より分かれた屋良大川按司の庶子だといわれています
嘉手納町にある屋良グシクの近くの屋良大川按司墓(後大川)にいわゆる ”護佐丸・阿摩和利の乱” や ”国直” で戦った人物が同じ系統の人たちとして表記されています
知花グシク(知花城跡) は周辺の喧騒と隔絶された静かな雰囲気の中にありますね
”鬼大城の墓” は知花グシクの入り口から行くよりは
知花グシクを南側に回ったところが近道です
鬼大城は具志川の喜屋武・仲嶺(喜仲)にある
喜屋武グシク(喜屋武マーブ)で生まれました
父親が幼少時に亡くなって母の実家のある知花グシク近くで育ったようです
越来グシクにいた第一尚氏尚泰久王子に仕え
王子娘の百登踏揚が勝連の阿摩和利に嫁入りの際には付き人として勝連グシクへ入っています
鬼大城は伊覇按司系安慶名大川按司の系統
阿摩和利は安慶名大川按司より分かれた屋良大川按司の庶子だといわれています
嘉手納町にある屋良グシクの近くの屋良大川按司墓(後大川)にいわゆる ”護佐丸・阿摩和利の乱” や ”国直” で戦った人物が同じ系統の人たちとして表記されています
Posted by みやきせん at 2020年06月08日 09:00